楽を求めればどんどん落ちる。こんな題名でブログ更新。
私が51年生きた実感?悔しいけどそうしかならなかった。
私は楽を求めていた?のでなく正しくは「逃げていた」「あとまわし」
「今やらなくてもいつかやればいい」「このくらいで合格」「このくらいなら大丈夫」
「口で誤魔化す」中途半端か器用、根拠の無い自信のある奴に多い行動。
★だがこれが一番いけない★
行動は一秒でもはやく。決断は他人が嫌がる事がいい。
私はかなりいい加減で適当な人間だった。適当、誤魔化す、上に書いてある人間だった。
「平成16年まで」今も多少はそうだろう。
そんないい加減な人間でも生活は出来ていた。が、落ちる所をはるかに超えて落ちた。
周りから見ていれば案の定だ。他人の言う事などなにも聞かなかった。
自分にとって大きな判断、理解できなくても少しだけ前向きに選択肢として聞いておけば良かった。
落ちた。突然。自分の存在が無い。自分の存在は人を幸せにする事が無いと悩む。
人を想い人が変わる瞬間があるとすればこれもあり。私はそこから変わった?無理して変えたと言うのが正しい。
今の自分の立場?好きじゃない。気持ち良くはない、、、、
嫌われなければ好かれる事なし。認めてくれるだけのいい人でいたいがそれは無理。場所が場所。
説教は上手じゃない。理解されるまでに時間がかかりすぎる。でも説教する必要がある。
自分の居るポジション天辺だから当たり前で覚悟はしているけど、、、、、、説教はこたえるね。
出来れば勝手に気づいて実行してくれれば嬉しいが、人間気づくのが一番難しい。
自分の言う事は楽に出来るようになった。だから周りを見て正直、自分だったら聞いてくれる理解出来るって悩むよな。
昔は難しい事だった。今は自分を教育したおかげで楽だ。本当の楽は苦労の後。苦労が楽だと思う。
こんな事だがスタッフに覚えてもらい実行してもらう必要がある。皆のお城を守る為にね。
話は少し難しくなったが、このついでに。
人間って好きとか嫌い。楽か楽でないかで動きやすい。
お勧め出来ない動きは楽+とりあえず=弱い人
弱い者は弱い者を引き付けやすい。ネガティブな判断。そんな時に決めた事の多くが大間違いである。
自身弱いと自覚しているなら根拠もなくただ認めてくれる相手は避けた方がよい。強い奴に従え。
最初は難しいと思うが強い奴の真似をするといい。強くなろうとしても無理。
出来ない理由を考えるだけで行動には移らない。真似をする事が手っ取り早い。
強い奴の近くはいい。強い奴が大人なら弱い者は子供。
子供が一人で歩いてもなんともならん。想像すればわかると思う。
親が強ければ子供にとってこれ以上の事はない。親の真似をするべきだ。
子供の多くは親に似る。距離が近いから無意識に似てくる。
親を否定していてもね。似てないと思っているのは自分だけで傍から見ればよく似ているものだ。
人間落ちきる辺りでは自力で上がる事は不可能に近い。
強い奴がいるならそいつの真似をすればいい。真似をするのは苦しいと思うが楽になる。
人が人を呼ぶ。私たちの成績は人が決める。目に見えない努力や苦労の積み重ねが魅力となり
その魅力は重力のように人を引き付ける。
◆ほぐしやさんメンバーの為に◆この事をよく理解して頂くとする。
楽な方に行きたくなる気持ちは理解するが自滅する。己の思考は確実に仕事に出る。
難しい相手になれば己の思考であり己の生き様が評価される。楽すぎる相手も同じ。
自分の領域、得意だけでは優秀な成績を残すことは出来ません。ストレートは打ててもカーブが打てない。ではプロと言えない。
良くできて18点「相手、人、条件が揃えばデカくも当たる」といったところ。野球なら打率:一割八分程度なのか、、、
それでは駄目だ。そんなの沢山いる。本当のプロに拘るなら
より多くの球種「人」とコース「愁訴」を確実にとらえる事が要求される。
直感を鍛えるといい。前向きにね。その為には苦労が必要です。